みどりの中に光る絹の町川俣

卯香女の絵馬

印刷用ページを表示する掲載日:2012年3月29日更新

 所在地:福島県伊達郡川俣町飯坂字諏訪山1番地 諏訪神社

 地図で探すのページへリンク

卯香女の絵馬の写真

記念碑の写真

川俣には現在、250点に及ぶ絵馬が保存されている。なかでも川俣春日神社の発句絵馬は安永3年(1774年)に納額されたもので、県下でも最も古いものの一つである。

また飯坂地区の諏訪神社には、嘉永5年(1852年)に奉納された卯香女の「富貴と孔雀」の大絵馬があった。当時、孔雀を絵馬の題材として取り上げたのは彼女が初めてのことである。金粉を施した下地に極彩色で描いた作品は、一部が剥落してはいるものの花鳥画独特の柔らかな艶やかさを保っている。額縁に夫の佐山頼史(号長山)が奉納したと裏書されている。「当地地主桃木平佐藤治郎兵衛娘リサ事改号卯香女行年三十六歳画、萩平大工權喜作之」とあって、諏訪山の地主が卯香女の生家であることも証している。彼女の絵馬は五木内薬師堂、松木内子育観音堂、常泉寺子安観音堂等に15点の作品が残っているが、前記の作品は初期のものである。(諏訪神社の絵馬は、火事で焼失しており現在は見ることができない。)

卯香女は本名を佐藤リサ、桃里亭と号した。川俣町飯坂桃木平12番地佐藤治郎平衛の二女として、文化14年(1817年)7月8日に生まれた。長じて越後国栃尾の俳人佐山長山に嫁ぎ、南画を佐久間雲窓(長野県飯山市)と寺沢綾湖(宮城県気仙沼市)に師事した。長山歿後、50歳の春に帰郷して、桃木平にアトリエを建て才筆を振るうこととなる。

初期の作品は、純粋の花鳥、人物等を得意としたが、晩年は風俗画も交じり厚みも増した。明治15年、農商務省主催による第一回内国絵画共進会に「菊と芙容」と「玉堂富貴」とを出品し、中国南北派の部で入選を果した。画風は文晁流の流れをくみ彩色画が多い。明治29年12月17日、79歳でその生涯を閉じた。現在、実家の下を通る花塚街道の道端に弟子達による記念碑(法名、長卯妙香大姉)が建っている。

明治15年の絵画共進会には、川俣から石川君嶺、村山翠圃も出品し入選を果している。人々はこの三人を川俣における「明治の三画人」と呼んだ。


[表示切替]
モバイル | | トップに戻る