みどりの中に光る絹の町川俣
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川俣町の山~女神山・名前の由来

印刷用ページを表示する掲載日:2023年10月23日更新
『日本山名辞典』に女神山は、4つ出てくる。そのうち3つまでが秋田県にあって、あとの1つがこの女神山である。どの山も標高が1,000メートルに満たないのはその名にふさわしい。この優しい名の山には、小手(おて)郷(川俣町と月舘町)に織物を伝えたと言われる小手姫伝説が伝わっている。小手姫は崇峻天皇の妃で、蘇我馬子の乱の後、東北に落ち延びた息子の後を追ってこの地まで来たという。しかし、息子とは会うことができないまま土地の人々に養蚕と絹織物の技術を教え、ついにその一生をこの地で過ごしたといわれる。遺体は女神山に葬ったといわれている。今でも女神山には山桑が点在し、字「本内」の上あたりに『堂平』には姫が住んだといわれるその跡が残っている。小手姫は小手郷に絹織物を伝えた先人であり、その供養の山が女神山である。
秋山字壱貫森の佐藤長明(故人)宅に伝わる「小手姫記事」には、「千二百五十年三月十五日にあれば即ち清明の日也 又小手姫の開きたる高山なるが為に一名女神山と称す。」とあり、小手姫あっての女神山であり、女神山あっての小手姫伝説ではないと言われている。

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