11月16日の祭礼には参拝者が列をなしたといわれている。当時中組講中では当番宿でおこもりをした。壁屋橋の下でみそぎをし、白装束に身をかためて参拝したと伝えられている。おこもり中に使用した箸を、その辺に捨てては不浄であるということで、羽山参道鳥居の手前沢に納めたと語り継がれている。現在もその場を「箸納」と呼んでいる。このしきたりは大正年間まで続いていた。また梼野地区にも講中があり、正宝院におこもりをし翌日参拝したといわれている。(小島の歴史と文化財)
伊達郡村誌には「東は下手渡(しもてど)村に属し西南北は本村に属す險にして、樹木を生せず、より渓水を出す流れて小手川に入る。」と記されている。
昔、「椚山」とか「太郎山」とか言う草相撲の巨漢関取がいた。毎日稽古のために、三百田の土を背負って、羽山神社まで運んでいた。神社の後ろに小高い丘があるが、その土はもともと三百田の土であると言う。
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