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川俣町の山~太郎坊山・長寿山・名前の由来

印刷用ページを表示する掲載日:2023年10月23日更新

『俗説 太郎坊山』

大むかし、太郎坊山は別名「羽山岳」と言った。山頂から少し下ったところに、羽山宮があった。羽山岳は、よく雨を降らす山だった。何年かに一度、雨雲が羽山岳にぶつかり洪水をおこし、山頂の土や草木を押し流し里の田畑を埋めてしまうことがあった。村人たちは困っていたが、羽山岳は日増しにハゲ山になっていった。
その頃、麓近くの三百田という所に柿の古木に寄りかかるように、小さな庵があった。そこには、行き倒れた旅の老僧が村人たちに救われて住んでいたが、子どもたちだけでなく大人たちにも読み書きを教えていた。
ある歳のこと、粉雪の舞う真冬の夜中、庵の戸口に拾子があった。ボロにくるまった男の赤子は声も出ないほど弱っていたが、老僧は必死に暖め、そして命を救った。老僧は天から授かった宝として「太郎」と名づけ懸命にその子を育てた。村人たちは、「太郎坊」「太郎坊」と可愛がったが老僧は太郎に学問を教え、厳しく育てた太郎が立派な大人になった頃、老僧は他界してしまった。
太郎は、長い間悲しんでいたが、そのうちある決心をした。それは、老僧の遺志を継いで村人に恩返しをすることだった。その事を深く決心した時から、太郎の身に変化がおきた。全身に精気がみなぎり、力が沸きあがってきたのだった。恩返しをするには、大雨の度に田畑を埋める羽山岳に樹木を植えようと思った太郎は、毎朝暗いうちに起きて、タンガラ(背負いかご)に土をいっぱい入れて背負い、約3キロの険しい山道を羽山岳に登った。羽山宮周辺に土はなく、大小の石がゴロゴロしていた。雨の日も風の日も雪の日も太郎は土を背負い、羽山岳に登り、土を踏み固めそこに雨風に強い松の木や雑木を植え、大願成就を祈った。太郎は20年という歳月を一日も休むことなく土を運び、木を植え続けた。
村人は、太郎の存在をいつのまにか忘れてしまっていたが、羽山のハゲ山はみごとな緑の山に変わっていた。大雨が降っても洪水が起きる心配はなくなったが、ふと太郎に気付いた時には姿はなかった。何日たっても太郎は村に帰っては来なかった。村人たちは太郎のことを思い、羽山岳を「太郎坊山」と呼ぶようになったと言い伝えられている。
「太郎」とは、長男または、最も優れたものの敬称である。また、「坊」には、僧侶の居場所という意味や、男児を親しんで呼ぶ時に使うものである。
また、「太郎坊」とは、京都の愛宕山に住む天狗であり、鞍馬山には「次郎坊」という天狗がいた。滋賀県の八日市市小脇町に「太郎坊山」(標高350メートル)があるが、ここは山岳信仰の霊地として多くの修験者を集めてきた。太郎坊天狗とは行者の守護神とされている。
他に、富士山の御殿場口の新五合目は「太郎坊」と言われるところである。
宮城県矢本町には、「太郎坊清水」と言われる名水が湧き出るところがある。
これらとの関係から、「太郎坊山」の名前の由来を探ると想像の世界ではあるが、とても興味深い世界が広がると思われる。
また、「太郎坊山」を「羽山」とも呼んでいたが、「羽山」は「端山」「麓山」とも書き、「里に近い」という意味がある。「羽山」には、村を守護する租霊が宿っており、里の子孫の生活、特に稲作農耕を守ってくれる。里人は年に一度、時を定めて精進潔斎のおこもりをし、満願の日に神社をあおいだ。旧暦の11月中旬頃とされている。

長寿山からの幻想的な風景

長寿山からの幻想的な風景の写真


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