みどりの中に光る絹の町川俣

ネコ檀家(ネコの恩返しの話)

印刷用ページを表示する掲載日:2012年7月1日更新

むかし、むかし、あっとこに、じいさまとばあさまが住んでたど。
一匹のトラネコを飼ってで、自分の食いもんを半分にへらしてでも、
ネコさ食わしてわらしのようにめんこがっていたど。

ネコはとってもなづいで、じいさまとばあさまの言うごど聞いでだが、
だんだんじいさまもばあさまも年とっちまって、
自分だち食うだけの稼ぎもできなくなっちまったど。
ほんで、ネコもめんこいが、
このままではとっても食っていがんねえがらと、あっどき、
「おめえどこ養っていがんなくなったがら、
どっか情ぶけえ飼い主みっけで、生きでってけろ。」
って言ったら、ネコは悲しそうな顔しで、しょぼ、しょぼ出で行ったど。

ほれがら何日か過ぎだのがな、ある晩げ、
寝でだら起すもんがあったど。
よく見だらトラネコだったんだと。
「長えごとお世話になって、なんの恩返えしできねが、
ちけえうちに庄屋さまがうんとめんごがってた娘が死んで、
ざらんぽが出る。
ほの途中でごいら風が吹いできて、
仏さまへえったがんばこが空さ上がちまう。
どこのえれえ法印さまがまじなっても、決して落ぢねえ。
なじょしたらいいべって、庄屋さんさわぐから、ほんどき、
じいさま行って、『なむからたんの-、とらや-のや-。』って、
空さ向がって三度拝んでくんちぇ。
ほしたら、棺降ろしてやっがら。
ほれでざらんぽ無事できて、一生食うほどお礼貰えっペから。
忘んねでそうやってくんちぇ。」
って言って、どっかさ行っちまったど。

何日かしたら、なんのじ庄屋さまの娘が死んじまったど。
いよいよ今日はざらんぽだ。
行列つくって行ったどころが、ごいら生臭え風吹いできて、
仏さまのへえったがんばこが、
みるみるうちに空さ舞い上がっちまったど。
庄屋さまやうちのもんや、行列に立ってくっちゃ人たちは、
おったまげっちまったど。
「こんじゃ困った。どこそこの寺の坊さまに拝んでもらえ。」
「いや、法印さま呼んで祈とうしてもらうべ。」
って、拝んでもらったり、祈とうしてもらっでも、
なんぼにもおぢでこなかったど。
そんどき、一緒に立って行っだじいさまが、
「おれ拝んでみっと、おぢでくっかしんねえ。」
って言ったら、
「ほんだら、じいさま、やっでみてくんちぇ。」
となって、じいさまはちっと格好つけで、トラネコにおせらっちゃどおり、
やらかしたわげだ。
空さ向がって、
「なむからたんの-、とらや-のや-。」
って、坊さまのようなふし付けで、三度拝んだどごろが、
がんばこが静かにおぢてきて、ちゃんと元のがんでえさおさまったど。
ほして、無事ざらんぽ終って、庄屋さまは、
「いやぁ、一時どうなっかと思ったが、じいさまのおかげで娘も成仏できだ。
何かお礼しでえが、望みあったら話してくんちぇ。」
「いや、別に望みもねえが、これから年取っで食いようねぐなっから、
庄屋さまの庭掃ぎにでもくっから、使ってくんつぇ。」
って言ったら、庄屋さまはうんと嬉しぐなっちまって、
「じいさま、ばあさまのどこは、丈夫なかぎり扶(ふ)ちつづげっから、
心配しねでくんちぇ。」
って言わっち、ほんで、じいさまばあさまは、一生楽して終ったんだと。
ネコはそれっきり姿見せながったど。

川俣 佐藤 庄吉


[表示切替]
モバイル | | トップに戻る