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川俣 春日神社算額

印刷用ページを表示する掲載日:2012年3月29日更新

所在地:福島県伊達郡川俣町字宮前37番地 春日神社

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川俣春日神社 算額の写真

和算を文字を使う点竄術(記号代数)にまで到達させた関孝和は、名実ともに和算の出発点となった。その関流を主体としていくつかの流派が生まれ和算全盛時代が訪れた。達南地方でも幕末から明治にかけて多くの弟子を持った佐藤作十正方(川俣)、斎藤利七(大綱木)、菅野豊蔵(西福沢)、河野松右衛門(飯野町)、などが現れた。彼らの師であった三春町の佐久間杢之丞とその子纉は、建部賢弘の系譜を継ぐ最上流の始祖会田安明(山形)の高弟渡辺 一(二本松藩士)の弟子であった。

和算は天文、特に暦と関連しさらに田畑の測量に応用されながらも、日本における古典的な芸事にみられる遊芸の道として発達をしてきたもののようであった。和算には秘儀奥伝を尊ぶ風習もあったが、その成果を額(算額)にして神仏にささげ、その加護を願うとともに世人の批判を求める風習もあった。この算額は和算研究の重要な資料の一つであるが、町内にもいくつかあったと思われるものは散逸し、現存しているものは春日神社に掲額されている斎藤利七社中のものを残すのみで貴重なものである。これは明治13年、利七が師の纉から初伝を許されたのを記念して、多くの弟子たちによって奉掲されたものである。

川俣町の和算家

佐藤作十正方

岩代国伊達郡川又仲町東屋
生没年月日不詳
作十は天保11年、佐久間杢之丞に入門、幕末の「信達算者番付」に伊達方前頭筆頭に「川俣、作十」と記されている。作十は天保15年、江戸芝愛宕山愛宕神社に算額を奉掲している。また三春御幡町六地蔵堂(嘉永3年)、奥野堺之明神(万延元年)の算額には各一問の算題を付している。

斎藤利七致明

伊達郡大綱木村字爼板倉45番地
文政9年(1826年)1月25日生
明治32年(1899年)8月4日没
算軒徳誉術了居士 享年74歳
利七は大綱木村字荒町佐藤庄二郎の子として生まれ、嘉永五年、同村弥吉の許へ妻子共に養子相続し斎藤利七と改名した。初め作十正方に和算を学び後に元治元年、39歳の時に佐久間纉に入門、明治13年に初伝、程なく二伝を許されている。彼は纉の高弟33名のうちの一人といわれた。明治22年、門人たちにより利七の徳を讃え、御霊神社参道入口左手に彼の寿蔵碑が建てられている。彼の算額には春日神社算額の他に小綱木村八幡神社算額(慶応2年)、木幡山弁財天算額(慶応2年)、木幡村隠津島神社算額(明治17年)がある。

斎藤利七の和算指南許状(巻物)の写真

菅野豊蔵

伊達郡西福沢村字下平25番地
嘉永2年(1849年)4月5日生
大正11年(1922年)4月24日没
實性庵豊寿相霊 享年74歳
豊蔵は父甚兵衛、母イネの二男として生まれ、明治15年、立子山村字栃久保菅野ふじの許へ後夫として入籍している。彼は初め利七に和算を学び明治13年に利七門人として佐久間纉に入門、後年自ら庸軒派算法菅野社中を結成した。彼の算額には門人たちにより奉掲された飯野町小手神社算額(明治19年)、立子山村八幡神社算額(明治20年)がある。


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