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木幡山蔵王経塚

印刷用ページを表示する掲載日:2012年3月29日更新

所在地:福島県伊達郡川俣町大綱木字陣具形山

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木幡山経塚の積石状況の写真

川俣町と東和町境の木幡山山頂に蔵王経塚がある。隠津島神社本殿の真裏に位置し、馬の背状山頂に南北にほぼ1列6基が造営され、昭和53年に発掘調査された。過去に何度か掘り返されてかく乱状態にあったが、積石と内部主体の石槨はかなり原形を保ち、凝灰岩製外筒破片4個分と施入呂の湖州鏡(方鏡)、綱代地文円鏡、交釉陶、同水瓶、三筋壺、土師器などの残欠および破片と短刀、刀子、宋銭が出土した。

3号経塚の出土と考えられる奈良博物館保管の盛蓋式の被せ蓋をした銅板打物製経筒には、法華経8巻と思われる8個の経巻残塊が入っていたという。この経筒を凝灰岩製外筒に納め埋納した。経筒と外筒には銘文は認められていない。

経塚は直径3m前後の規模で、円形が4基と方形2基がある。円形の3号経塚の構造は直径3m、深さ0.3mの浅拡を掘り、その中心をさらに一辺0.6m、深さ0.6mの土拡を掘って、平板状の石で箱形石槨を組立て外周に木炭を詰めている。この石槨内に経筒を埋納し、封土として層厚0.45mの積石で盛上げている。石槨は地下式が2基と地上式が4基あり、地下式は地上式より以前に造営されたものであろう。

経塚の北端には磐座(いわくら)とするにふさわしい三つに裂けた巨岩があり、奈良金峯山頂の蔵王権現湧出岩にみたてられているようで、この立石遺石から土師器と宋銭が出土し、これは経塚造営に先行する祭祀遺跡と解される。これらの出土品と経塚から、平安時代末期に2期ないし3期にわたり造営されたことが理解できる。経塚は末法時になると経典が消減してしまうので、弥勒菩薩が出世する後代まで仏法を伝えようと経典を埋納した施設で、天台系寺院に経塚の造営が多い。

この他に川俣には栗和田経塚(大字西福沢)、西田山経塚(大字東福沢)、小島経塚(大字小島)などがある。栗和田経塚は木幡山西麓の峯続き突端に位置し、西田山経塚は同じく北麓にあり、灰釉陶の経瓶を出土した13世紀初頭の造営とみられている。法相宗興福寺の荘園である川俣地方にも、平安仏教の天台宗の影響、すなわち木幡山治陸寺の宗勢の浸透を示している。


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