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小松倉百庚申

印刷用ページを表示する掲載日:2012年3月29日更新

所在地:福島県伊達郡川俣町大綱木字小松倉山8番地

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小松倉山頂の百庚申の写真

小島下の町 庚申供養塔の写真

小手五岳第一といわれた口太山の麓、大綱木の中央を走る国道349号線の東に、村の人たちの昔からの信仰の山であった小松倉がある。その北麓には「小手風土記」に記されている小松倉常楽寺旧跡と、川俣町最古の嘉元2年(1304年)の板碑2基がある。またその南麓には小手第七番札所千手観音堂が昔の姿そのままに深い杉木立に囲まれてひっそりと建っている。その小松倉の山頂には昔から養蚕の神として信仰されてきた百庚申と数多くの石神、石仏が祀られている。

川俣町には広く庚申信仰が行なわれていたとみえ、各地域に数多くの庚申塔や青面金剛像がみられる。しかし、庚申信仰の源流である三尸説による信仰とは違い、作神としての性格が濃かったのではないかと考えられる。小松倉の百庚申は養蚕の神として、村内はもとより近隣の人々から信仰されてきた。正月の初庚申の日には多くの人たちが、小さい米とぎざるを持ってお参りに行きそれを供え、代りのざるを借りてきてそれで桑を摘んだ。蚕が当るとお礼参りにざるを二つにして持って行ったという。ざるを供えたのでざる庚申ともいわれた。当日は下の千手観音堂の前の広場には、かご屋が店を並べたくさんのざるを売っていたという。

現在はこの信仰も廃れ頂上への参道脇の庚申塔も倒れ、頂上の「申」の一字が刻まれた数多くの石塔も半ば土に埋れたままになっている。町内の飯坂地区では初庚申に百庚申参りといって、米や豆などの供物を持って方々の庚申様を拝んで歩いたという。多くの庚申様を拝めばそれだけ御利益があると考えられ、一度に百の庚申様を拝んだことになる百庚申が多くの人の信仰を集めたようである。町内で一番古いと思われる庚申塔(宝永七年寅九月、1704年)が、小島下の町に現存している。


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