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大清水機織御前堂旧跡地・旧壁沢川石橋(眼鏡橋)

印刷用ページを表示する掲載日:2012年3月29日更新
  • 町指定名勝 大清水機織御前堂旧跡地
  • 町指定有形文化財 旧壁沢川石橋

所在地:福島県伊達郡川俣町飯坂字東大清水9

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機織御前堂旧跡地、旧壁沢川石橋の写真

機織神社の写真

大清水はこの地方に機織、養蚕の技法を伝えたという小手姫を祭る機織神社の前身機織御前堂(服部御前堂)の旧跡で、明治12年機織神社と改称し明治43年に現在の御庵館の地に移された。大小二つの池を持つ大清水は付近の水田を潅漑する水源で、近くに大清水古墳群や土師器、須恵器を出土する遺跡があり、また南には古代織物の名にちなむ賤ノ田(委文の田)(しずおりのた)という地名もある。

小手保庄が奈良興福寺荘園であった古代には、この地方は都へ送られる絹、生糸の主要な供給地であり、これが小手姫伝説を生みだした背景の一つとなったと考えられる。小手姫については天明8年(1788年)の「小手風土記」に、「勅ありて大和国高市郡川股里より庄司峯能と云ひし人、ひとりの娘小手姫をともなへ遙々陸奥へ下り、桑を植え蚕を飼しめ女工を教しむる。此小手姫東国の人は心に違とて終に夫を待たずして大清水に身を投げて死せしと也」と記され、機織御前堂については「大清水、雅女姫命鳥居あり小手姫の霊を祭れりと言う、此御手洗の前を婚姻の輿入通れば此清水に引き入らるると言伝なり」と記されている。

この旧跡の二つの池の間の眼鏡橋は明治22年の川俣、月舘間の県道工事の際、壁沢川に架設した橋で大正2年8月の大洪水で下流側半分が流され、さらに翌3年軽便鉄道が敷設された時に幅員を広くし修理補強された。昭和50年県道拡張工事により取払われる運命にあったが、地元有志の方々や関係機関の尽力により大清水に神橋として復元されたものである。設計施工者は布野宇太郎義成、弟源六義和兄弟で、布野氏は上杉氏家臣の家柄でその祖は西根堰工事の功労者と伝えられている。兄弟は「ぶっちの宇太郎、字彫りの源六」とうたわれた当地方きっての名工で、宇太郎の作には信夫橋(眼鏡橋)、飯野新橋、金華山の灯台等がある。


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