川俣町と茨城県境町は、ともにアルゼンチン共和国との長年の交流がきっかけで、平成31年2月28日(木曜日)にアルゼンチン大使館で友好交流都市協定を締結しました。
左から 橋本正裕 境町長、アラン・ベロー アルゼンチン共和国全権大使、佐藤金正 川俣町長
川俣町と茨城県境町は、ともにアルゼンチン共和国との交流に長年の歴史があり、駐日アルゼンチン大使をはじめとするアルゼンチン共和国の要人の来訪、アルゼンチン共和国への町民の派遣など、共通の取り組みを行っております。
平成30年5月にアルゼンチン大使館で開催された、日亜修好120周年アルゼンチン共和国ナショナルデーレセプションに、両首長が招待された際、様々な面で交流を深めていきたい旨の合意に至りました。
その後、両町のイベントに参加する等の交流を経て、友好都市交流協定を締結しました。
(協定内容)
両町における相互理解と友情・信頼及び発展を促進し、友好協力関係を構築するために、友好交流に関する協定を締結します。
両町は、アルゼンチン共和国との交流に長年の歴史を有していることに加え、川俣町は平成23年の東日本大震災及び東京電力福島第一原発事故、境町は平成27年の関東・東北豪雨の被災地として大災害を経験しています。
こうした災害を経験した両町が、この締結を出発点として、両町の友好往来を活発にして、経済、文化、、教育、生涯学習、スポーツ、防災、まちづくりなどの各界にわたる交流と協力を行い、町民の幸福と繁栄に積極的に努力します。
また、2020東京オリンピック・パラリンピックに向けて、アルゼンチンナショナルチームの事前キャンプや、開村前の期間において、境町における練習施設等の供給について協力します。
両町長と大使が固い握手を交わしました。
川俣町からアミーゴ・デ・川俣が参加して、「谷間のカーニバル」「花祭り」の2曲を披露しました。
1975年、長沼康光氏と「ノルテ・ハポン(北日本中南米音楽連盟)」が、川俣町でフォルクローレの全国大会を提唱して第1回日本版コスキン祭を開催しました。
名称は、アルゼンチン共和国コスキン市で開催される「コスキン・フェスティバル」にちなみ、「コスキン・エン・ハポン」と命名しました。
以来、ノルテ・ハポンの主催で、毎年開催し、フォルクローレに寄せる町内外の人々の熱い思いが一体となって、コスキン・エン・ハポンは全国最大級のフォルクローレの祭典へと成長しています。
<近年のアルゼンチン共和国との交流>
平成14年6月 サッカーW杯日韓大会でアルゼンチンチーム応援団を結成
パブリックビューイングを実施
平成18年1月 川俣町派遣団がアルゼンチン共和国コスキン・フェスティバルへ参加
平成29年10月 アラン・ベロー アルゼンチン共和国全権大使が来町
コスキン・エン・ハポン開会式に出席
平成30年6月 サッカーW杯ロシア大会でアルゼンチンチーム応援団を結成
パブリックビューイングを実施
平成31年1月 川俣町派遣団がアルゼンチン共和国コスキン・フェスティバルへ参加
毎年、「コスキン・エン・ハポン」の開催 など
・人 口 24,228人(平成31年2月1日)
・面 積 46.59平方キロメートル
・特産品 さしま茶、梅山豚(メイシャントン)、レタス、ねぎ、トマト
・町南部に、利根川が流れる
境町とアルゼンチン共和国のつながりは、1853年「ペリー浦賀来航」にあります。
幕末時代に旧関宿藩士(※)の野本作次郎氏が、ペリーと来航したアルゼンチン人を応接した縁から交流が続いています。
※下総国(千葉県野田市)にあった藩で、茨城県境町も関宿藩領であった。
<近年のアルゼンチン共和国との交流>
平成28年 6月 アルゼンチン共和国ホストタウンに決定
平成28年10月 小学生児童6名をアルゼンチン共和国へ派遣
平成29年11月 小学生児童12名をアルゼンチン共和国へ派遣
平成30年 4月 アルゼンチンオリンピック委員会との覚書締結
毎年「アルゼンチンの日の集い」を開催 など
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