みどりの中に光る絹の町川俣

春日神社の絵図

印刷用ページを表示する掲載日:2026年3月6日更新

神宮寺の絵図(明治7年)
【解説】神宮寺絵図(明治7年)
絵図左側が春日神社、右側が神宮寺である。春日神社は拝殿を中心に、左側に機織御前宮と疱瘡神社があり、その手前にもう一棟の建物が見える。右側には四所大神と青麻大神、その奥に豊受皇大神がある。中段には左に蠺養神社、右に神楽殿があり、下段には御供殿(通称:長床)が配置されている。
神宮寺においては上段の中央が金堂、右側が庫裏、左側が護摩堂であろうか。下段左には、戊辰戦争で戦士した阿州兵(今の徳島県)田浦久兵衛、関口丹蔵の忠魂碑がある。
この絵図からは、通称女坂の石段が春日神社と神宮寺の間に位置していたことが見てとれる。

春日神社の絵図(明治28年)
【解説】春日神社絵図(明治28年)
図の最上段に拝殿があり、その左側に機織御前宮と疱瘡神社、右側に四所大神と青麻大神、その手前には豊受皇大神の屋根のみが見える。
図の中段には石碑をはさんで左に蠺養神社、右に神楽殿が配置されている。
下段には割り拝殿構造の御供殿(通称:長床)と、その左には明治30年に移設される神馬堂が見られる。
二の鳥居前にも建物がある。明治11年社寺明細調書の境内縮図にある神門であろうか。随神像がかすかに見える。

社寺明細調書の春日神社境内縮図(明治11年)

【解説】社寺明細調書の春日神社境内縮図(明治11年)
図の右中ほどには、明治30年2月16日に神馬堂を引き移して社務所を建設し、同年3月4日に落成した旨が追記されている。また、これを裏付けるように図左側中段の社務所部分には、かすかに「神」と旧配置図の痕跡が確認できる。
拝殿に向かって左側に機織御前宮と疱瘡神社、右側に四所大神と青麻大神、その奥に豊受皇大神が配置されている。図の中段には左に蠺養神社、右に神楽殿があり、下段には御供殿(通称:長床)を中心に、右に神馬堂、左に社務所と便所が記載されている。
記載されている規模は次の通りである。
拝 殿:縦 四間 横 五間五尺 (雨覆)
御供殿:縦 二間二尺 横 六間一尺
雅楽殿:縦 二間 横 二間
神馬殿:縦 一間一尺 横 一間半
神 門:縦 一間半 横 三間半
機織神社:縦 一間 横 一間二尺 (雨覆)
四所神社:縦 一間 横 一間半 (雨覆)
青麻神社:縦 一間 横 二間 (雨覆)
蠺養神社:縦 一間半 横 二間 (雨覆)
豊受皇神社:縦 一間半 横 二間 (雨覆)
疱瘡神社:縦 二尺 横 二尺


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