福島県歴史資料館の山田英明さんを講師にお招きし、標記の講座を開催しました。
この特集では講座の内容をご紹介します。
令和7年度文化財講座「川俣の俳諧」
講師:山田英明氏(公益財団法人福島県文化振興財団歴史資料課・川俣町文化財保護審議会委員)
日時:令和8年3月14日(土) 10時30分~12時
会場:川俣町中央公民館 1階 第1・2展示研修室
講座のようす
山田さんは文字資料から歴史を読み解く文献史学がご専門で、川俣町文化財保護審議会委員もおつとめいただいています。
これまで川俣の近世・近代史といえば主に産業や経済に関する調査が行われてきましたが、山田さんは絹織物業の盛況を背景に花開いた文化に注目し、俳諧に関する調査を進められています。
俳諧とは、江戸時代から明治時代の前半にかけて流行した庶民の文芸です。
鎌倉時代に誕生した、複数人で句をつないでいく形式の「連歌」が、江戸時代には庶民の間にも広がり、滑稽や風刺などを取り込んで「俳諧連歌」略して「俳諧」と称されるようになりました。複数人で句をつなぐ形式から「座」の文芸ともいえるそう。
ちなみに、現代のわたしたちがよく耳にする「俳句」とは、正岡子規らが明治時代半ばに俳諧に革新運動を起こし、独立した形式(個々人が完結させる形式)に変化させたものです。
俳諧という「座」の文芸が流行した当時、俳諧は教養であり、娯楽であり、他者と交流するためのもっとも身近な手段でした。山田さん曰く、「現代のイメージでは、カラオケがそれに近いのでは」とのこと。
俳諧のコミュニケーションツールとしての性格(社会的機能)と、その読み手である俳人たちに注目することで、当時の地域社会の様子がいきいきと見えてくるのでは、と考えられます。
福島県が俳諧の盛んな地域であったことはよく知られていて、白河、福島、若松、いわきなどの城下町や、須賀川、本宮などの町場に多くの俳人がおり、俳壇が形成されていたことがわかっています。
ここ川俣では、“川俣俳壇”と称されることはほとんどないものの、「川俣の地域特性を考えると、この地に俳壇が形成されなかったと考えるのは、むしろ不自然では?」と山田さんは考えます。
川俣は古くから平絹の産地として栄え、慶長年間(1596~1614)の頃には生糸や絹織物取引の市が立っていたと伝わります。江戸時代には相馬藩、二本松藩、福島藩に囲まれ、それぞれに街道が通じる交通の要衝に位置しました。天和2(1682)年には幕府の直轄領(天領)となり、元禄16(1703)年に陣屋(代官所)が置かれます。
江戸時代から明治時代にかけての川俣はまさに政治、経済の重要な場所でした。
幕府から派遣された代官とその部下たち、また、行き交う商人たちを通して、江戸の最先端の文化や情報がもたらされたことでしょう。
伊勢の大淀三千風という俳人の紀行文『日本行脚文集』には、天和3(1683)年から全国行脚の旅に出た三千風が川俣の大久保正次稲花軒という大変豊かな人物のお宅に滞在したことが記されています。優れた文化人が川俣を訪れ、交流をしていた様子がうかがえます。
では、当時の川俣ではどのくらいの数の俳人が活動していたのでしょう?
須賀川の俳人・矢部榾郎(1882‐1964)が古今の俳書から県内の俳人を抽出して編纂した『福島県俳人事典』には、川俣の俳人として約200人の名が挙げられているそう!
県内各地の俳壇と比べても決して小さくない規模といえるでしょう。
なかでも代表的な人物として、大内壺山(こさん)と渡辺桑月(そうげつ)の名が挙げられます。
大内家は代々、鉄砲町で平絹商(通称「大伝」)を営んだ商家で、壺山の名跡は伝兵衛(三代伝兵衛)。
代表作『西遊記』は、天保11(1840)年に京都へ出かけた際の約7か月に及ぶ旅日記で、随所に発句が記されています。三井越後屋の十三代当主・三井高福を訪ねていますが、両者には商売以外にも個人的なつながりがあったようです。三井高福自身も書画詩歌を好む文化人としての側面があり、俳諧を通して意気投合した可能性も想像されます。
ご子孫の大内史之さんが編まれた『西遊記 大内壺山の旅日記』という著書にその足跡が詳しく紹介されています。
本名は弥一郎。『川俣町史』には村議会議員や絹織物の仲買商として名前が挙がっています。
正岡子規が俳句革新運動を起こした明治中期に、江戸時代の俳諧の流れを汲む「旧派」の系譜に属する俳人として活躍していました。
桑月が明治28年(1889年)に編纂した句集『明治俳諧金玉集』には、北海道から熊本県まで全国約600人の俳人から寄せられた俳文芸が収録されています。
川俣に住む桑月が全国の俳人と交流を持ち、作品を託される立場にあったことは大変興味深く、彼の宗匠としての地位の高さと同時に、当時の川俣の文化水準の高さがうかがえるでしょう。
『明治俳諧金玉集』
こうして川俣の俳人に関する山田さんの調査をご紹介しましたが、ほとんどの俳人が「どちらのどなただか分からない…」というところだそう。
そこで、講座の配布資料から『福島県俳人事典』に見る川俣の俳人一覧を抜粋しました。
掲載されている俳人をご存じの方や、古い句集などをお持ちの方はぜひ情報をお寄せください!
『福島県俳人事典』に見る川俣の俳人_一覧 [PDFファイル/350KB]
近世・近代の川俣にどのような文化人が集い、いかなる文化が花開いたのか?
町民のみなさんから情報をお寄せいただければ、きっと多くの発見があることと思います。
[表示切替]
| | トップに戻る