広報かわまたに連載中の「川俣歴史探訪記」から、春日神社の白澤を紹介する特集ページです。
随時、更新していきます。
町指定有形文化財である宮前の春日神社の拝殿に、国内の神社ではほとんど見られない神獣の彫刻があることをご存じですか?
拝殿入り口に立つ柱を向拝柱(こうはいはしら)と呼びますが、春日神社の東西柱の上部には、正面に「唐獅子(からじし)」があり、側面には上方に「貘(ばく)」、その下方に「白澤(はくたく)」の彫刻があります。
いずれも神獣ですが、このうち白澤の彫刻は、当町の春日神社以外では、聖徳太子ゆかりの大阪市四天王寺の阿弥陀堂で確認できる程度で、全国的に見ても非常に珍しく、貴重なものです。
古代中国において「白澤」は、徳のある皇帝の前に出現する人面牛身の獣で、人間の言葉を理解し、万物の知識に精通するといわれています。
春日神社に見る白澤は、西側が口を閉じ、東側は口を開いていて、まるで狛犬の阿吽のようです。
この神獣は、旅や病除けの護符ともいわれていますので、ぜひ皆さんも一度ご覧になってみてください。
そして、この町の至宝である文化財を後世に伝えていければと思います。
広報かわまた7月号に宮前の春日神社拝殿の向拝柱に、国内の神社ではほとんど見られない白澤(はくたく)の彫刻について紹介しました。
今回は第二弾として「白澤」が持つ特徴をお知らせします。
端獣である白澤には大きな特徴が三つあります。
一つ目は「人面牛身」、顔が人間で体が牛という特徴です。
春日神社の白澤も足のひづめが二つに割れているので、牛と同じ偶蹄目です。
二つ目は「目」です。白澤の目は顔に三つ、脇腹の両脇に三つずつで合計九つあります。
春日神社も写真に示しましたように、脇腹に三つの目が見られます。三つ目の特徴は背中の「角(つの)」です。これも写真に示したように、背中にアーモンド状の角とおぼしき突起があります。これらの特徴から、当町の春日神社にあるこの彫刻は、間違いなく白澤であることがわかります。
現在までのところ福島県内において白澤は、春日神社(1740年)・会津美里町 福生寺観音堂(1750年)・いわき市 八剱神社(1798年)・川俣町東福沢 薬師堂(1816年)・福島市 水雲神社(1844年)で確認されています。これらの中では春日神社が最も古い建築彫刻です。
令和5年9月24日、吉田文芳宮司立ち合いのもと、国内の白澤研究の第一人者である金沢学院大学佐々木聡准教授によって、春日神社拝殿の向拝柱につけられた白澤の調査が行われました(写真参照)。
調査の結果、紛れもなく白澤であり、神社に彫りものとしての白澤があるのは非常に稀有だそうです、また、向拝柱の木鼻の位置に白澤と獏が上下に組み合う構成は、佐々木准教授が知る限り日本で唯一のものだということが判明しました。
本春日神社の場合、構築開始年が享保16年(1731)で、元文5年(1740)年竣工と造営年代が明確であることから、江戸時代後期の人々の信仰について言及できる可能性が高いことも非常に重要であるとのことでした。
このほか、向拝柱部位にみられる各種の彫りものも本当に豊富で、過去に調査した故吉田 義前宮司の調査では、計34体もの彫刻があるのもまた、非常に稀有な例だといういうことです。
向拝柱を支える礎石は神亀であり(写真参照)、中国の思想が反映されているものと判断できるのではないかとの教示も得ることができました。
このように、当町宮前の春日神社は非常に貴重で稀な近世の神社建築物であることが判明しましたので、今後はこの文化財をどう保存し、後世に伝えていけるかをより考えなければなりません。
令和5年12月の広報かわまたで、白澤研究者の金沢学院大学佐々木聡准教授から宮前の春日神社にある建築彫刻がまぎれもなく白澤であるという記事を掲載しましたが、その後、さらに当町には、白澤を有する寺社があることが判明しました。
白澤があるのは東福沢の薬師堂でした。この情報も佐々木准教授からでしたが、新潟県で仏像文化財修復工房を営む松岡誠一氏が、当町に薬師堂の木造薬師如来坐像と木造菩薩立像を修復においでになった際に白澤を発見したそうです。
実際に確認したところ、写真に示しましたように東側の向拝柱の木鼻部分に白澤がありました。また、いわき市の松本庸器氏(株式会社 松本社寺建築研究舎 代表取締役)からもいわき市八剱神社にある白澤を紹介されました。
このように、当初、春日神社1社のみと思われた白澤ですが、まだまだ寺社仏閣に埋もれている建築彫刻があるのではないかと思われます。お気づきのことがありましたら、ぜひ生涯学習課歴史・文化係にお声がけください。また、白澤彫刻の建築事由も探っていきたいと思います。
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