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川俣町の山~花塚山・昔からの言い伝え・伝説

印刷用ページを表示する掲載日:2020年9月18日更新

華塚山 小手五岳の一ツ也

夫当山は伊達の高山にして南は口太木幡の嶺高く聳へ西は安達太良信夫の山々北は刈田嶽伊達大木戸國見山阿武隈川の流れ蒼天にハ東海の海原金華山も只此嶺より一眼の内に雙眸の客となりぬ 衆山に秀て嶺頭嶮々として李白ハ大姥の吟に五岳をなし天台の四萬八千丈も爰に相対すべし 抑當山の草創を尋るニ日本台宗第二組慈学大師奥羽二州に群り安全の依怙たる勝地を尋此山に登りて数日護摩を修し獨予が為ニするにあらす 普く塵類に及し上は天子より下は弊民に至る迄平等に利益せんとや時に紫雲たなひき天華交下りて華塚山大権現とあらわれ給ふ 仰て信すへし 済度衆生の御本意正しく当山に有千魃に雨を迄霖雨に晴を祷るに応験あらたなる事朝日の山の端を出るが如く花園の華は十二房に咲て十二因縁を示し心なき草木石の苔まても帰依し奉りて御山慕ふ人あやまりて草木を手折下れバ晴天怱雨と成返し奉れハ雲散して晴るかヽれは歩を運もの引もきらす 旧暦四月八日八月八日を縁日とす
別當 神宮寺 (小手風土記)

「花塚山御本由併新華表(鳥居)記」には、以下の記載と歌が載っている。
花塚山の裾野は民の柴刈り、株取り場で入野(入り込んだ奥深い野)ということ。麓は桃木平といって百姓の住家が数十軒ある。その中に次郎兵衛といって昔から山の地主同然のものがいる。そのため神宮寺代々の法印様が山へ登られる時は行き帰りの休み所にしており、また山の御世話をしてきた信心深い者であるのでここに書き記しておく。あなかしこ、あなかしこ

~ 右御山名跡記(付けたり狂歌) ~

一、山頂は護摩壇岩(ごまだんいわ)
これは慈覚大師が37日間の行を行ったところである。岩間に岩つつじがある。花は白く小さく開いてまったくみごとである。
「うえもなきみのりの花の岩つつじ 護摩たく跡の弊とそ見ん」

一、鎮護岩(ちんごいわ)
これは右の大師が治国平天下を祈った所である。
「四方のなみ治る国も静かにて 永かくし世の祈り動かじ」

一、屏風岩(びょうぶいわ)
これは七尺の屏風の姿に似ていて石の裂け目に黄金色の花が咲くという。
「なめらかに八千代苔むす屏風岩 今にくちせずきがね花咲く」

一、胎内潜り岩(たいないくぐりいわ)
これは婦人の平産安全を祈願するところである。
「親木からとしとし子木のすばえ出て 茂り栄えたる枝もまめやか」

一、行者戻し岩(ぎょうじゃもどしいわ)
これは昔から鎖が付いていて登り下りの助けとした。全くの難所である。
「くさりつく岩ほすとに見へけれど 思い入にはさわりざりけり」

一、中央御室岩(ちゅうおうおむろいわ)
これは花塚山大権現の御本社である。
「跡たれし花塚山の花ならん 見にくる人のあらんかぎりを」

一、御花畠が広前にある
これは一本々をひとまとめにして二、三間四方に広がった処の木の花は、夏に咲く石楠花である。花園であるが俗に名付けて花塚といってきた。この花は四月上旬より中旬までまっ盛りである。その節は美しさに見とれて手で折り取ると、氷雨が降るといって堅く禁じられている。そのために早魃の年には雨乞いに登山をするという。石楠花は昭和三十年ごろまで見られた。
「伝え聞く花塚山の石楠花は たの恋しき雨のめぐみを」

一、御籠り屋 三間梁に五間である
これは御室より十四、五丁前にある。立願の人が通夜する所である。拝殿の長床ともいう。この前に当辰(明和九年)の春に初めて鳥居を建てる。この施主は当御陣屋(川俣代官所)元締め大井五郎左衛門尉が雨乞いの願いが成就し、その霊験があったというので御建立された。
「遠近の人も通夜する古もりやに 何かは神のみつけ付けなん」

花塚八景の一つ、「行者戻し岩」

行者戻し岩の写真

「花塚山」「月山」「金華山」の三山信仰がある。特に「金華山」信仰については、毎年四月下旬に、宮城県の金華山に四人くらいで代参し、御神符を受けて来て、代参人が山頂の祠に奉納する。代参人が下山後下の集会所に講中全員が集まり御礼開きを行い祭りを終える。以前は、春と秋の二回だったが、最近は春だけになった。金華山の山頂にある祠は、平成七年に小綱木沢(こつなぎさわ)、後沢大柴等の講中一同が抹持料(掛け金)により木製から石製の祠に替えられた。この金華山信仰については地元の菅野彦治さんや菅野吉和さんが詳しく語ってくれた。
ここでいう「金華山」は、花塚山頂の南方600メートルのところにある、標高853メートルの山で、吾妻・安達太良連峰の眺めがすばらしいところである。金華山に行くには、国道114号線、小綱木沢から東に約1キロ程進みT字路を左に進む。消防コミュニティセンターの前を通り、次のY字路を右に進む。(このY字路を左に進むと花塚山頂に行く)500メートルほど進むと、三軒の民家が見えてきて、一番奥の鈴木新一さん宅前の角から歩いて15分ほどで鳥居に着く。ここから本格的な山道を30分ほど登ると金華山の頂上に着く。この辺の登山道は、地域の方々が手入れしているので、汚さぬように特に注意したい。

左から「花塚山」、「月山」、「金華山」

「花塚山」「月山」「金華山」の写真

飯坂の山谷という所には、昔三軒の農家があった。その内の一軒で、子どもが神隠しにあった。村中が大騒ぎになり、方々探したが見つからず途方にくれた。その時一本歯の下駄の跡が霧伏沢の方に続いていた。それを追って行ってみると、霧伏沢の峠、天狗の庭の石の間に元気な子どもを見つけた。親は大喜びしたという。花塚山には、天狗が住んでいて、護摩壇の岩を積んだといわれている。

昔、飯坂村社にある諏訪神社の参道入口あたりは、泥沼の谷地だった。そこに大蛇が住んでいたが、川俣と相馬を結ぶ道を作ることになったら、蛇は住みづらくなって住家を替えることになった。東の山の方に移動したが、その跡は草をなびかせ小さな木を倒し、ひどく荒れてしまった。霧伏沢を登り伊達と相馬の火防線を越えた水が沸く丘谷地に移り住んだ。猟師が花塚の山に獲物を探して入ったが、道に迷い、行方がわからなくなった。町のほうを見ようとつるを頼りに木に登ったが、つると思ったのは大白蛇だった。驚いた猟師は鉄砲を肩に掛けたまま引き金を引いたら、玉は蛇の喉に当たり、苦しくなって大きな口をあけて息を強く猟師に掛けた。猟師は驚き、一目散に家に逃げ込み寝込んでしまった。すると三日後に息を引き取ってしまったそうだ。大蛇も死んでしまい、山は静かになったそうだ。

花塚の里からの登山道の途中にある、「姥神様」

姥神様の写真


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