口太山小手五岳の第一也 此山安達郡伊達郡の境也峯小丈にして研りなせるか如し 登れハ道険しく積雪長なへにして 山下風肥を徹す 嶺に池あり 鎮護岩と云有 弐間四方程の岩穴也 猿か道と云所あり 往昔山蔭中納言岩瀬郡鉾衝宮に 通夜し給へ槭樹山のしるへを得深くも此山に迷ひ入らせおわせしにしるへのもの年古猿と変して山蔭公を害せんとす 時ニ白鹿の神助ありて急危をのかれ給ふ くわしくは春日の社記に見へたり 此山より一流の渓川□々として石になりて下る 瀑三ツ有第一第二第三の瀑と云ふ 土人傅て伊達郡第一の瀑と称す(小手風土記)
「乳子岩(ちごいわ)」にはこんな伝説がある。「昔、飢饉のとき、口減らしのため乳飲み子を岩穴に捨てた。すると、一晩中その子どもの泣き声が里まで聞こえたと言う。いつしかその岩穴を『乳子岩』と呼ぶようになった。」という。
やまきや山木屋の蕨平(わらびだいら)から見ると三つの頂が見えそれぞれに、一番口太、二番口太、三番口太と名前がついている。それぞれには沢があり、いつまでもそれらの沢に雪が残っていると、その年の作柄が悪いという言い伝えがある。
また、昭和38年6月28日に口太山北側を中心として1時間に80ミリ近い豪雨が降り、ふもとの荒町地区には土砂を混えた鉄砲水が押し寄せ、地区の大半が被災した。その中でも母子3人が濁流にのまれ死亡している。
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